盛岡市水道事業90年のあゆみ 盛岡市水道90周年記念誌 盛岡市上下水道局
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盛岡市の水道事業90年(創設事業〜第7次拡張事業)中津川揚水場(第1次拡張事業)北厨川揚水場(第3次拡張事業)10第1次拡張事業(昭和25年度) 急速な人口増加にともなって水道利用者が増加した大戦直後。その一方で、資材や労働力は慢性的に不足し、維持管理さえままならず、各地で漏水が発生し断水や時間給水など市の給水事情は悪化するばかりでした。 こうした慢性的な水不足の解消のため施設の整備拡充が急務となり、昭和25年に中津川に水源を求める第1次拡張事業を開始しました。米内川と中津川が合流する落合地区に、戦時中から戦後にかけての緊急対応の目的で中津川揚水場を建設し、昭和26年3月に完成しました。同揚水場は両河川の伏流水を揚水し、新庄配水場に送水し、3,200m³╱日の増量を図りました。同揚水場は、昭和53年10月で取水を休止し、第7次拡張事業時に廃止となりました。第2次拡張事業(昭和28〜29年度) 旧陸軍用地だった青山町。旧兵舎が外地からの引揚者の住宅となるなど、新興住宅地として発展し急激に人口が増加しました。しかし、同地区は給水区域の末端で、しかも高台に位置するため給水が困難を極め、住民は共同の井戸を譲り合って使うなどして水不足をしのいでいました。そこで、伝染病予防や火災時の消火用水不足も 併せて解決するため行ったのが、青山町を対象とした第2次拡張事業です。 建設した青山揚水場では、深井戸を2本掘って水源とし、2,100m³╱日の地下水を汲み上げ、供給を開始(1号井は昭和29年6月、2号井は昭和30年3月に通水)しました。これにより青山地区への安定した給水が可能になりました。青山揚水場は、昭和36年3月に取水を休止し、第5次拡張事業時に廃止となりました。第3次拡張事業(昭和30〜31年度) 北部の厨川地区でも宅地化が進み、人口が密集し都市へと発展していきました。同地区は、既設水道の末端よりさらに遠隔地にあり、標高の関係から独自の水道施設を設置しましたが、将来、既設水道と連絡するための暫定的なものでした。 この北厨川揚水場は、深井戸1本をさく井し、地下水1,000m³╱日を揚水して高架水槽に送り、同地区に給水するものでした。工事は昭和31年1月に着手し、同年12月に通水。これにより地域住民の水道布設の要望に応えることができました。北厨川揚水場は、昭和44年の観武増圧ポンプ場完成により給水区域を縮小し、第6次拡張事業時に廃止となりました。青山揚水場(第2次拡張事業)盛岡市水道90年日本の水道事業と盛岡市の水道事業第1章

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