盛岡市水道事業90年のあゆみ 盛岡市水道90周年記念誌 盛岡市上下水道局
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盛岡市の水道事業90年(創設事業〜第7次拡張事業)11第4次拡張事業(昭和32〜43年度) 市勢の発展で給水人口は6万2,000人に達し、また生活水準の向上から一人あたりの給水量は最大300L╱日に迫っていました。このため人口20万人を目標とする市勢振興計画の一環として、給水区域内人口16万人に対し計画給水人口12万人とする施設の拡張を行う第4次拡張事業を計画しました。 第1期工事は給水人口10万人を対象とするため、水源を雫石川近くの地下水に求め、浅井戸2本から水を汲み上げ、新設する中屋敷浄水場に送り、さらに新設する高松配水場にポンプ送水する計画でした。 この計画に基づき、昭和34年8月に中屋敷浄水場から2基のポンプにより青山町まで送水を開始。さらに、昭和36年8月には高松配水池が完成し、同年9月から使用を開始しました。 この頃、給水区域に市の西部地域を編入する事業変更を行いました。水源を新たに雫石川伏流水に求め、雫石川の河川に集水管を埋設して 1万3,000m³╱日を取水し、既設の浅井戸に送り、地下水とともに浄水場へ導水する計画でした。また、北部高台地区の給水計画は、加圧方式をポンプ直圧方式に変更し、配水幹線の連絡地点を変更しました。これらの工事は昭和38年3月までに完了し、同年8月には中屋敷浄水場から高松配水場へ送水を開始しました。 昭和39年からは第2期工事に着手し、第1期工事で残った中屋敷浄水場の完成と高松配水場の施設増強を実施し、昭和44年3月までに完成しました。第5次拡張事業(昭和42〜48年度) 第4次拡張事業の完成(目標年次昭和43年)により拡張の目的は達したものの、昭和41年の夏の時点で、1日最大給水量は計画給水量3万6,000m³╱日を超えていました。そこで、米内浄水場系の増強を図り、給水量を5万9,000m³╱日まで増強し、昭和48年を目標年次として、計画給水人口を16万1,500人とする第5次拡張事業を立案しました。 この工事では、米内発電所導水路の分水槽から浄水場間の導水管が老朽化したため、導水管を予備水源から浄水場まで増設し、さらに、米内浄水場の既設緩速ろ過設備の改善と急速ろ過施設一式を新設することとしました。これにより処理能力が3万2,450m³╱日に増強されました。また、米内浄水場から新庄配水場までの送水管も増設するとともに、新庄配水場は1万400m³╱日まで増量し、配水管についても増設しました。 市北西部の人口増加が著しいうえ、青山水源地の地下水が減少し、廃止を余儀なくされました。さらに、中屋敷水源が水位低下のため、予定水量の取水が不可能となりつつありました。そこで、昭和50年を目標として、計画給水人口17万4,000人、計画給水量6万7,500m³╱日とする第5次拡張変更事業を行うことにしました。 同事業では、既設中屋敷水源の集水管による取水方法をやめ、雫石川表流水を直接取水するため、1号井の北側付近に新たに沈砂池を設置し、2万3,000m³╱日まで表流水の取水を増やしました。これと地下水の取水1万m³╱日とを合わせ、中屋敷浄水場で処理して給水することとしました。盛岡市水道90年日本の水道事業と盛岡市の水道事業第1章

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