盛岡市の水道事業90年(創設事業〜第7次拡張事業)沢田浄水場での施設見学会御所ダム13第6次拡張事業(昭和47〜59年度) 第5次拡張事業を計画変更したことで昭和50年までの水は賄える予定でしたが、地域開発が予想を上回り、昭和49年には水不足になることが明らかになりました。このため計画給水人口を23万100人とする第6次拡張事業に着手しました。 水源を簗川に求め、旧東北電力宇津野発電所の導水路の末端から取水し、新たに沢田浄水場を建設。1日最大3万400m³を市内に給水する計画としました。 沢田浄水場の工事は、昭和49年からの通水を目指して進めていました。しかし、石油ショックによる資材不足や、簗川に漁業権を持つ盛岡河川漁業組合との間で漁業補償問題が発生し、通水が遅れていました。4年に及ぶ補償交渉が昭和50年7月にまとまり、同月21日に仙北方面を主体に通水を開始しました。 このほか第6次拡張事業では、市周辺の標高の高い地域への給水が必要になり、松園、岩清水、新庄中区等の配水場や山岸ポンプ場などを建設しました。また、水質汚濁防止法の施行により各浄水場に排水処理施設を設置しました。これにより9カ年の継続事業として実施していた第6次拡張事業は、昭和55年度に完成しました。 また、昭和56年3月に盛岡広域都市計画基本計画が見直され、新たな宅地開発が可能となりました。開発されることとなった桜台ニュータウンに隣接する既存集落などを給水区域に加える見直しを、第6次拡張変更事業として実施。昭和59年8月にこれらの地域への給水を開始しました。 昭和58年9月上旬から、御所ダムの放流水を水源としている中屋敷浄水場系の水道水にカビ臭が発生しました。原因の調査と対策を検討した結果、中屋敷浄水場に粒状活性炭施設を建設することとなり、昭和59年に実施しました。沢田浄水場の完成(第6次拡張事業)山岸ポンプ場(昭和51年3月送水開始)(第6次拡張事業)盛岡市水道90年日本の水道事業と盛岡市の水道事業第1章
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