第1章6盛岡市水道90年日本の水道事業と盛岡市の水道事業第1章日本の水道事業の歴史から見た盛岡市の水道事業盛岡市における近代水道への渇望 東北各都市でも水道布設が進みました。明治40年の秋田市を筆頭に、青森市(明治42年)、郡山市(明治45年)、仙台市(大正12年)、山形市(大正12年)、福島市(大正14年)と次々に完成しましたが、昭和になっても県庁所在地で水道事業が立ち遅れていたのは盛岡市だけでした。 本市は県庁所在地として政治経済、文化の中心都市として発展を続け、大正元年には人口は3万8,000人を超え、市制施行時より1万人近く増加していました。当時、中津川、簗川、雫石川の伏流水が豊富で、清水や井戸を利用していましたが、毎年秋になると赤痢、腸チフスが発生したため、大正14年に岩手県衛生課により対象井戸の水質検査が行われた結果、約25%の井戸が飲用不適とされました。この結果もあり、上水道の整備は本市の喫緊の課題となっていました。 そうした中、昭和3年には民間による「盛岡水道利用組合」が設立され、 中津川を境にした河北地区約2,000戸に簡易水道の給水を開始しました。市勢発展の要ともいえる水道事業は、もはや引き延ばしできない状況になっていました。日本の近代水道の始まり 急速な近代化が進んだ明治維新以降の日本。鉄道や電話、郵便といったインフラを整備し、綿糸や生糸の大量生産・大量輸出を始めるなど、日本でも産業革命が起こり、近代水道の布設にも強い関心が寄せられました。その理由として、開国以後、たびたび猛威を振るっていたコレラなどの伝染病に対し、近代水道の布設が最も有効な対策であるということが広く認識され、都市部を中心に近代水道布設に対する要望が高まったためです。 このような背景から、明治20年に横浜において、わが国初の近代水道が建設されました。 その後、函館、長崎の順で布設され、わが国の近代水道は、大都市である3府(東京・大阪・京都)や貿易の拠点である5港(函館・横浜・新潟・神戸・長崎)をはじめとして、各地で布設が進みました。 明治23年に、水道の全国普及と水道事業の市町村による経営を内容とする「水道条例」が制定されたことにより、水道は都市部で急速に広がっていきました。豊かな水量を誇り市内を流れる中津川日本の水道事業と盛岡市の水道事業
元のページ ../index.html#8